決勝の放送直後から大公開 番組未公開!シェフの裏話

三和 慎吾

未だに残る悔しさ。
来年は、優勝して
スコールと叫びたい!

三和 慎吾(34)

山口県代表 / フレンチ
mitsuwa オーナーシェフ

2005年3月 辻学園調理師専門学校を卒業。2006年4月~2011年9月 ザ・リッツ・カールトン大阪にて宴会調理とレストランLa Baieに勤務。2011年10月~2015年3月 大阪市天満にあるワインバーで勤務。2015年8月~2016年5月 フランス、パリのレストランSolaで勤務。2016年5月~8月 アメリカ、ニューヨークのレストランKajitsuで勤務。2016年10月~2018年9月 山口市地域おこし協力隊として勤務。2019年1月 やまぐち BISTRO 328を開業。2021年1月 店名を“mitsuwa”に改名。

悔しさと自信が入り混じった、
複雑な気持ちで終えた戦い。

第一線で活躍する料理人たちとの戦いの中で、自分はどれだけのことができるのか、今の自分にはどのくらいの力があるのかを試したかったというのが、今回DRAGON CHEFにエントリーした最大の理由です。
レベルの高い方が多く出場されていたので、初めは「エリア予選を通過できればいいかな」くらいに思っていたのですが、実際に通過してみると欲が出てきて、サバイバルラウンドは、真剣に「優勝したい!」という気持ちで戦っていました。そのため、「フードロス」の回で、「キャベツのスープ」がそれなりの評価を得られたにも関わらず、敗退という結果になってしまったことは悔しかったです。
一方で、審査員だった神田裕行さんに、「この料理は三つ星レストランでも出せる味だ」と言っていただけたことは、とても自信につながりました。そこはオンエアしてほしかったですね。(笑)

ソースをこぼすという失態を
冷静に乗り越えた自分に拍手。

振り返ってみて、最も思い出深い料理となったのは、やはり「さつま地鶏の手羽」の回。最後にソースをこぼしてしまった、「mitsuwa 春の香り」です。
その前の農園バトルで作った「人参のロースト」に、須賀シェフから「もうちょっとできたんじゃないか」というコメントを頂いていたので、あの料理にはもともと強い思い入れがありました。それだけにいろいろ詰め込んでしまって、試作でも、制限時間ギリギリで完成させていたんです。
そして迎えた本番。時間配分も決めていたのですが、緊張もあって思うようには進まず、最後には焦りでソースをこぼす始末。そんな中での最後のフォローは、我ながらよくやったなと思いますね。(笑)
ソースをこぼさなかったら須賀シェフのコメントはまた違っていたのではないかと思ったりもしますが、とはいえ、かなり作りこんだこの料理で1位を取れたことはうれしかったです。

コンクールならではの経験が
料理人としての成長の糧になった。

今回出したメニューは全て、「自分の店のコース料理の一品として出すなら」という視点で作っています。しかし、課題と期限がある中での料理を作る作業は、普段とはまた違ったもので、とても良い経験になりました。
それともう一つ、人前で話すのが苦手な僕にとっては、毎回のプレゼンも、コンクールならではの良い学びの機会になりました。実は、サバイバルラウンドに入ってから、「プレゼンが上手くなる塾」にも体験入学してみました。あまり上手くはなりませんでしたが、これも良い経験だったと思います。
力試しのために出場したDRAGON CHEF。終わってみると、新たな課題も見つかりましたが、当初自分が思っていたよりも皆さんと対等に戦えたことは、大きな自信になりました。この半年間は、料理人としてさらに成長できた「最高の時間」だったと思います。

夢の実現のためにも、
目指すは優勝!1000万円獲得!

今後は、今回の経験や一流シェフからいただいたアドバイスを活かし、自身の料理のクオリティをより一層引き上げていきたいです。
さらに将来的には、現在営んでいるレストランを、オーベルジュにしたいという夢も。周りに何もない、田舎ならではののんびりした環境の中で、山口県の食材を使ったおいしい料理を味わっていただき、翌朝までゆっくり滞在していただく。お客様の満足度を、もっともっと上げられるのではないかと思っています。
そんな夢の実現のためにも、来年こそは優勝!1000万円獲得!戦いの後のプレモルの味を、歓喜の味に変えたいですね。

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