決勝の放送直後から大公開 番組未公開!シェフの裏話

中川 寛大

日本料理で戦うための
新しい形を切り拓く、
大きな目標ができた。

中川 寛大(27)

京都府代表 / 和食
祇園さゝ木

三重県立相可高等学校「食物調理科」に入学、在籍中は調理部に所属し国際高校生料理コンクールに2年生、3年生と出場。2年時はオーストラリア、3年時は台湾で開催され、どちらも金賞で総合順位準優勝。その他にも日本のコンクールに参加し数々の賞を受賞。卒業後、2012年から京都「祇園さゝ木」に入店。現在は本店の2番手として働き、今年で10年目。

店の代表として、いち料理人として
人を楽しませる料理で勝負する。

サバイバルラウンドに進んだ16人中、20代は僕を含め3人。仲良くなった年上のシェフたちが僕を評して「誰とでもコミュニケーションがとれる」「肝が据わっている」と言ってくれたことが心に残っています。「祇園さゝ木」で10代からカウンターに入り、大将や先輩を見ながら学んできたお客様との対話術が、知らず知らず自分の強みになっていたことに気付かされました。
京都の和食店と聞くと、凛とした静かな空間を連想すると思いますが、“さゝ木劇場”とも呼ばれる店内は肩の凝らないフランクな雰囲気です。おいしいだけでなく、「楽しかった、また来たい」とお客様に思っていただける料理と時間を提供する。そんな「祇園さゝ木」の看板を背負う者として、そして同時に一人の料理人として腕を試したくて、予選から一度も大将に助言は仰がずに独力で勝負に臨みました。

まさかの敗者復活で進んだ準決勝。
無我夢中で記憶がありません…!

今回、サバイバルラウンドで一度脱落し、敗者復活から準決勝に進みました。正直に言うと、敗者復活が決まった瞬間から準決勝の調理を終えるまでの1時間20分は、ほとんど記憶がありません。それくらい、準決勝進出は自分にとって予想外の出来事で、とにかく無我夢中でした。
準決勝で作った「夏薫る、和風ハンバーグ煮弁当」は、一番出汁を使ってハンバーグを焼き浸しにしました。実はもともと、まったく別の和洋折衷的なハンバーグを考えていたのですが、レシピ提出日の直前になって「これでは日本料理とは言えない」と思い直し、一から再考しました。サバイバルラウンドで総監督の須賀シェフから「中川君が作るちゃんとした和食を見てみたいね」と言われたことも、日本料理の基本に立ち返って直球勝負をする決断につながりました。

知識や技術の引き出しを増やし
付加価値を加えられる料理人に。

全国で活躍する各ジャンルのシェフと出会い、今後の糧になるたくさんの学びを得たことは、DRAGON CHEFでの一番の収穫です。僕自身は今まで、その瞬間の勢いやひらめきを強みとしてきたところがあります。それに対し、今回戦ったシェフの皆さんは食材の相性や成分なども緻密に考慮して料理を作り上げていて、それが料理に付加価値を加えることでもあるのだと学びました。店で担うランチの献立作りでも、今まで以上に深く考える姿勢が備わりました。
もう一つの変化は、もともと好きだったプレモルがこの大会を通してさらに身近な存在になり、今やすっかりプレモル党に。味わいが濃く、香りや苦みも豊かなプレモルは単体で飲んでもおいしく、僕にとってはワインバーで飲むワインのような、ラグジュアリー感のあるビールです。

成長した姿で勝負の舞台に戻り
日本料理の新しい形をお見せしたい。

DRAGON CHEFを通して、和食料理人として向き合うべき課題も見えてきました。手間ひまや時間をかけて素材のおいしさを引き出す和食は、限られた時間内の対決ではどうしても不利になりがちです。味に強いインパクトも出しにくく、他のジャンルの料理と並ぶと、審査する人の印象に残りにくい面もあります。
今回のハンバーグでは、短時間で出汁がしみ込むように、麩のパウダーを回りにまぶすなど工夫しました。こうした「戦い方」の引き出しを増やすためにも、日頃から常に考え続けることが大切だと痛感しています。日本料理で勝負するための新しいスタイルを切り拓き、必ずまたDRAGON CHEFの舞台に戻ってきたい。全力で取り組みたい大きな目標が見つかりました。

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