決勝の放送直後から大公開 番組未公開!シェフの裏話

大野 嬉々

地方の女性料理人の
活躍ぶりを広く示せた
「最高の時間」。

大野 嬉々(29)

三重県代表 / フュージョン
KiKi オーナーシェフ

1991年 三重県桑名市生まれ。2003年 愛知県西尾市佐久島へ移住。2011年 辻調理師専門学校 卒業。2012年 辻調グループ フランス校 卒業。2013年 満愛貴(名古屋)/スーシェフ。2014年 KiKi(桑名)/オーナーシェフ。2019年 「ミシュランガイド愛知・岐阜・三重2019特別版」に掲載。RED U-35で最年少入賞・シルバーエッグ受賞・ブロンズエッグ受賞、オランダ産仔牛料理コンテスト入賞。

最初から最後まで、
料理人KiKiのスタイルを貫いた。

DRAGON CHEFに参加したこの半年間。悩み、苦しみながら、本当にたくさんのメニューを開発しましたが、一貫して大事にしていたのは「KiKiの料理らしさ」です。
例えば、「じゃがいも」の回で作った「和菓子 紫陽花」。あの発想は、じゃがいもの甘味がとても印象的だったことから生まれました。ゆっくり火入れすることで食材の甘味を最大限引き出し、味付けに砂糖は使わず、ほんの少しのみりんと蜂蜜を加えるのみに。さらに、ちょうど庭に咲き始めていた紫陽花に目が留まり、愛を意味する花言葉が、生産者の方の思いを表すのにピッタリだなと思い、イメージに採用。このようにして出来上がった一皿でした。
生産者さんが丹精込めて作った食材本来の味を最大限活かしつつ、一皿一皿を芸術作品のように美しく組み立てていく。これが、私の料理スタイル。そこは、最初から最後まで、貫き通せたと思っています。

自身の詰めの甘さを痛感した、
「卵」の回の裏話。

今回、課題として私の中に残ったのは、詰めの甘さでした。それが本番に出てしまったのが「卵」の回です。
実は、あの「新しい卵料理」は、戦いの前夜に徹夜して考えたものでした。もともとは別の料理を用意していたのですが、直前になって、「これでは負ける。絶対に作り直さないと!」と思い、ボツにしたのです。急遽、東京のスーパーで買い出しをして、友達のお店の厨房を借りて、明け方まで試作。しょうぶを料理に使ったのも、初めてのことでした。
なんとか完成させたものの、不安を抱えながら戦いに挑んだので、終わった瞬間、安堵の気持ちが涙に。「ホッとした涙」の意味は、実はこういうことだったんです。もっと作り込めばより完璧な料理になったはずという思いもありますが、それは後の祭り。そもそも私の気持ちの緩みが招いたことで、敗退は当然の結果です。この失敗は、必ず次の成功につなげたいと思っています。

料理人の戦う姿が、世の中の元気に。
コロナ禍において貴重な大会だった。

DRAGON CHEFへの出場は、私にとって、本当に多くの学びの機会となりました。決して楽な道のりではありませんでしたが、絶対的に出て良かったと思っています。また、田舎で小さな店を営む私のことを日本全国の方々に知ってもらえる絶好の機会にも。事実、最近は県外からのお客様が増え、忙しくさせていただいています。
一方でこの大会は、今回、日本中の人々に、勇気や元気を与えられたのではないか。戦う料理人たちの姿は、このコロナ禍に、テレビを通じて、多くの人々の「頑張ろう」という気持ちを後押しできたのではないかと思います。とりわけ日本全国の若手料理人の方々には、「誰にでも可能性がある」「自分も挑戦したい」と感じてもらえていたらうれしいです。
そんな素晴らしい大会に参加できたことをありがたく思っていますし、この時期にこの大会を開催してくれたプレモルには、感謝の気持ちで一杯です。

女性料理人としての新しい生き方を
自ら率先して示していきたい。

私が今後やっていきたいこと。それは、女性料理人としての新しい生き方や働き方を、自ら示していくことです。
料理界はまだまだ男性社会のようなところがあって、せっかく経験や技術を積み上げても、結婚や出産などでライフステージが変化すると、続けられずに辞めてしまう人が少なくないのです。私自身も、まさに今その壁を目前に、どう乗り越えていくかを考えているところ。やりたいこと、考えていることはいろいろあるのですが、それらをスムーズに進めるためにも、まずは今のお店が10周年を迎えるまでのあと3年間は、積極的に大会に出場するなど、実力や知名度を上げる努力を行っていきたいと思っています。
また、私が料理人として大切にしていることに、「一を知る」があります。食に関わる全てのことを、一から体験し、知る。この考え方は、食を取り巻く数々の問題を解決する糸口になると思うんです。こういった私自身の思いも、今後、広く発信していきたいです。

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